体験談 中山尚「4.脱会から出入り禁止へ」

体験談 中山尚「3.ひかりの輪設立から哲学教室になるまで」

 

有田氏に「脱皮しない蛇は死ぬ。」と言われたら、団体は「脱皮、脱皮」と連呼し、田原さんにひかりの輪は宗教じゃなく哲学だといわれたら、宗教ではなく哲学教室だと名乗りだし、祭壇もインテリアと言い換えたりして、その節操の無さに呆れるとともに「21世紀の宗教」に希望を抱いてきた私を絶望させるには十分でした。かなり激しく抗議しましたが、結局は上層部が決めたらそれを下に降ろしてくるだけの上意下達の体制、それは麻原が決めたなら絶対に従うというグルイズム方式でしかないということでもありました。麻原が上祐に取って代わっただけの団体でしかなかったのです。私が抗議した時に大阪支部長は言いました。「団体は指導する立場ですから。。」と。結局は、オウムの時と同じく上の命令は絶対であると言っているようなものでした。

「ひかりの輪は中山さんを中心に回っているんじゃない。」とも名古屋支部長からも言われるなど、すごい圧力がかかってきました。「少し距離をもってみよう。」そんな気持ちで私は脱会致しました。私は設立時からずっと考えていたことがあります。新しい団体はオウムのようなヒエラルキー構造を持った組織ではなく、もっと水平的で平等性を持った組織こそがアクエリアスの時代に相応しい形態であろうと考えてきました。上祐氏が中心にした広がりのある仲間の集まりこそが、オウムの反省から導き出された「ひかりの輪」としての在り方であろうとは考えていました。求めていた方向性が違っていたのかもしれませんが、頭を一度冷やす必要もあるのかなと考えてしまいました。今から思うと圧力に屈しただけでしたが(笑)。

団体は「会員でなくとも学べます。」などと言っていましたので、その後もしばらくは通い続けていましたが、情報漏えいの疑いと女性問題をやり玉にあげられ、出入り禁止となりました。「批判をするなら、外からオウマーのようにすればいいじゃないか。」などと遠まわしに言われた時もありました。常に辞めさせたがっているであろうということは感じていましたので、別に驚きもしませんでした。ただ、ひかりの輪が提唱する一元の思想から、どのようにしたら人を排除できる行動を取れるのかを本当に知りたかった。おそらくは、21世紀の思想であれ宗教であれ、ひかりの輪の思想でも、時と場合によっては人を排除できるとするのであれば、それではいつまで経っても争いが止むような思想ですらありえないでしょう。

やっぱり、観察処分を外したいだけの団体であったのだろうと思います。そう考えた時、今まで団体に対して様々な思いを抱き、そして去っていた人達の顔が浮かんできます。「オウムは誰一人として、人を幸せにはできなかった。」そういう言葉を残してやめた人もいました。ひかりの輪でも同様です。誰一人として幸せになれた人はいないでしょう。不幸にした人達は数知れず存在していましたが。。。

団体の存続は、誰のためになっているのか。それを考え始めた時に全てが崩れ去りました(決意と諦念 http://ameblo.jp/hisashi19661213/entry-12190641096.html)。

どれだけ存続に向けて頑張ったところで、上祐氏に何か事が起これば、今のままでは団体は崩壊することでしょう。私が解散を求めなくともいずれは消滅するのは分かってはいます。でも、それまでにどれほどの人をこれからも不幸にしていくのかを考えた時に、居たたまれない気持ちになることと、まだ力のあるうちに未来への一歩を踏み出すことが彼らのためにもなるであろうと考えています。

彼らにとっては押し付けがましい意見でもあろうとは思いますが、一歩踏み出すために、彼らの背中を押してあげることが、彼らに対する恩返しでもあろうと考えます。

一刻も早く解散して、それぞれの道を歩いていけるようお祈りしております。